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今日はどんな一日かな?岩手の盛岡から日々の様子を綴ります。
by kokemomoj
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"ST-flower1" Skin by Animal Skin
病気のこと・・・その5 やっと生還
今日は、映画 「パイレーツオブカリビアン デットマンズチェスト 」 を一人で見てきました。
盛岡の映画館は、毎週水曜日が「レディースディ」で、1000円になります。
本当はオットと行くつもりでしたが、何かと都合が合わなかったりして、このままじゃ公開終わってしまいそうな予感がしたので。
一人で抜け駆けです。

さて、病気のこともいよいよ終盤に突入してきました。
今日は、手術後の一般病棟での約半月間を書きます。



手術後3日目でICUを出された私は、起き上がれもしないままま一般病棟へと戻ってきた。


病室に落ち着いたのはいいが、体調は相変わらず最悪。
その上、病室は看護婦さんや患者さんが出入りするし、テレビ見たり話したりとザワザワ落ち着かない。
そんな中で、「具合良くないのに、こんな騒がしい所に寝ていなきゃならないなんて・・・・」と、私は憂鬱な気分。

そんな私の気持ちを全く無視して、先生はやけに明るくどんどん指示する。
「動いていいから。」
「飲み物もいいよ。夕方からはご飯も出るから。」
「トイレ行くときは、看護師さんに付き添ってもらってね。」

えええーーー?。
おととい手術したばかりですよ。
さっきまでICUにいたんですよ。
まだ、ちゃんと起き上がったことも無いんですよ。

でも看護師さんたちも、もう安静なんて気持ちはなさそう。
トイレの管を抜いて貰ったので、車椅子に乗せてもらってトイレに行く。
ふらふらだ。
神経の半分は自分のものじゃない感じ。



そして、夕方にはご飯が来た。
おかゆ。
食べろと言う。
食べないと点滴がなくならないと。
頑張ってみたが、二口三口食べただけで(それも無理やり)、それ以上は食べる気がおきない。
普段は食いしん坊の私がどうしたことだ。



それに、喉の調子がすごく悪い。
まず、声がガラガラ。っていうか、声が出ない。
超ハスキーボイスのもっとすごいやつ。
なんだこれは?

同室の人の話で、手術の時に人口呼吸器を喉に入れるから、術後はどうしても喉が痛く声が出づらくなるとの事を聞いていた。
これがそれかな?それにしてもひどいや。

もう1つ、ものを飲み込めない。
いや、飲み込み辛い。
水分も飲もうと思うとむせてしまう。
本当に注意深く少ーしづつじゃないと、物凄い勢いでむせる。
固形物は喉に引っかかって、間違って噛まずに飲み込んでしまった時の様に、「ゴロゴロ」と喉を通っていく。
なんじゃこりゃ?

私の腫瘍は、延髄の上部にくっついていた。
その部分には、神経がいっぱい通っているらしい。
その神経で、直接腫瘍に接しているものの1つが、舌を動かす神経、ものを飲み込む神経なんだそうだ。
そして、この「飲み込み辛い」という症状は、その神経を触っているからだと先生に説明された。
普通に戻るには結構時間がかかるだろうとの事。

後遺症の1つだった。
この症状で暫くの間、悩ませられることになる。
何せ、ものを飲み込もうとするたびにむせるんだ。
それも、死ぬかと思うくらい。
病室の人たちにも気兼ねするし、自分も大変。
何を食べても何を飲んでもおいしくない。
食欲もわかないって事だ。
日数がたつにつれて、少しづつよくなってはきたが、2週間くらいたってもまだ、朝一番で水を飲むとやっぱり駄目だ。
朝のまだ静かな時間帯に、「グエッホ!グエッホ!ゲホゲホ・・・・・」とやるのは、非常に気が引けてしょうがなかった。



熱も出た。
38度くらいの熱が1週間以上続いた。
これは前もって言われていたことだから心配はしなかった。
でも熱のあるってことは嫌なもんだ。
痛み止めも吐き気止めも点滴から定期的に入れてもらっていたが、そのせいかどうか、暑くなったり寒くなったりして、身体をどうすれば楽になるのかが分からない。


歩いていいと言われ、歩いてみた。
ふらふら・・・
足に力が入らない。
点滴の棒につかまっていないと、足がまっすぐ前に出ない。
斜めになって転びそうになる。
たった3日しか寝ていないのに、筋力が全くなくなっている。
太ももや二の腕が「たふたふ」している。
すねも骨に皮がぶら下がっている感じ。
皮膚もかさかさ、ごわごわ。
まるで、2月に亡くなった実家の父親の足を見ているようだ。

「一日寝ていると、回復するのに三日かかるんだってよ。」と看護師さんが言っていた。
なるほど、その通りみたい。
自慢じゃないけど、私は結構体力にも筋力にも自身があった。
そんな私がこんなになるなんて、信じられない気分。




10日位して、初めて入浴が許可された。
だいぶ歩けるようになっていたし、自分では入浴なんて楽勝だと思っていたが、実際に入ってみるとやっぱり大変だった。
まだ、浴槽に入る自信は無かったので、シャワーだけ浴びて、15分位であがったのに、身体を拭いて病衣を着ようとすると、何だかクラ~っとしてきた。
動悸もするし息切れもする。
それでも休みながらゆっくり着替え、病室へ戻り、ベットで暫く休んだらだいぶ良くなってきた。
そし後1時間ぐらいして夕食がきた。
それをいつものように食べていると、また動悸がしてきた。
そして息苦しい。
いつもの半分くらいしか空気が入ってきていないような気がする。
苦しいから一生懸命呼吸をする。
でも、なかなか良くならない。
看護師さんが来たので、それを言ったら、酸素量を測ってくれた。
「98%位はあるので、大丈夫呼吸はちゃんとできてるよ。
お風呂入って疲れたんだね。少し横になって休んでみて。良くなると思うから。」
その通り、暫く休んでいたらよくなった。
楽勝だと思った入浴が、こんなに大変だなんて。
次の入浴が恐いよ。
翌々日の入浴日は、こわごわだった。またあんなになったら嫌だよ~。
でも、不思議に今度は大丈夫だった。
ちょっとフラ~っとはしたが、苦しくなることは無かった。
よかった~!

お風呂以外にもこういうことは良くあった。
一回目は具合が悪くて大変だったのに、2回目になったら大丈夫だったこと。
不思議ね。



手術で切った場所は、左耳の後ろから首の付け根の真ん中まで、約15㎝弱。
その周辺は、触っても感じない。
叩いても痛くない。
神経が通っていないのだ。
そのおかげで、後頭部左半分が常に、「硬ーい」感じ。
常に硬くて重くて、まるでコンクリートで固められているみたい。
寝ても硬いし、起きても硬い。
非常なる不快感。

「 首の付け根から上に向かって、皮膚の神経が通っている。それを切っているから神経が無いんですよ。」と、先生は当たり前のように言ってのけた。
あまりに当たり前に言われたので、それ以上何も聞けずじまいだった。
看護師さんに「神経がつながるまでどの位かかるの?」って聞いてみた。
「そうねえ、何年・・・ってかかると思うよ。」「何年・・・か。」
これも後遺症の1つだ。



頭痛もした。
夜中に頭が痛くて目が覚める。
痛いのか硬いのか・・・
とにかく痛いし、寝ていても治らない。
そのたびに頭痛薬を貰って飲む。
そして、むせる。それも夜中に・・・
迷惑な話だ。

そのうち、先生も看護師さんも、
「毎日、寝る前に痛み止め飲んで寝なさい。」と言うようになってしまった。

最近の医療は、痛いときには我慢しないで痛み止め飲みなさい、と言うらしい。
でも私的には、なるべく薬漬けにならないようにしたいと思うので、「今日は大丈夫かな~?」と思う日は、薬を飲まないで寝てみるのだったが、やっぱり夜中に痛くなって、結局看護師さんを呼んで、薬を貰わなければならなくなる。
飲み薬の前は、座薬で貰っていたから、看護師さんに入れてもらわなければならなかった。
本当にご迷惑をおかけしました。
この頭痛騒ぎは、結局退院するまで続いた。


こんな病人生活も、一日一日と、ほんの少しずつだが、確実に回復して行った。
「薄紙を剥がすように」って言うらしい。
本当にその通りだ。
最初の10日位は、本当にそう思った。
一晩寝ると、次の日は前の日より、少ーし楽になっていた。
だから、夜寝る時に、毎晩、「明日は今日より良くなっているかなー?」と思うのが楽しみだった。
それが私の希望の光だった。
もし、今日より明日はもっと具合が悪い・・・となったら、私は精神的に参っていたかも?と思う。

しかし、その後も日一日と回復するものだと思っていた私の考えはちょっと甘かった。
症状はたいしたことはない、でも気になることが毎日ある。
昨日は何とも無かったのに、今日は痛い、変だ・・・とか。
そんな時は、ちょっと滅入ってしまい寝てばかりいた。
その代わり、調子のいい日は、一日に何度も散歩に歩いたり、体力強化の為に階段の上り下りをした。病室の人との話も弾んだ。
入院中の半月間、ずっとそんな毎日の繰り返しだった。



そして6月14日、いよいよ退院の日を迎える。

「退院できるの嬉しいでしょう?」とみんなに言われたが、その時の正直な気持ちは、「退院して大丈夫かな?」だった。
病院にいれば、どこか具合悪くてもすぐ看護師さんや先生が見てくれて、処置してくれる。
病室には同じような病状の人がいて、みんなの気持ちがよく分かりあえる。
でも、退院してしまえば、どこか具合悪くても、どうしたらいいか自分で考えなければならない。病人は私一人だし、いくら「大丈夫?」とか言われても、やっぱり周囲の人には私の身体の調子は分かってもらえない。
そんなことが心配だった。
だから、正直おっかなびっくりの退院だったが、退院してしまえばそんな心配も取り越し苦労だったなと思う。

退院後数日間は、家の中を歩き回ったりすると、フラ~っとしたりしたが、それも次第に感じられなくなり、今は日常生活には何の支障も無いほどに回復することができた。
後頭部の神経が無いことによる、肩こり首の痛みは今もあるが、これは長い付き合いだと思ってあまり気にしないことにした。
飲み込みも、まだちょっと不快感はあるが、普通の食事も難なく食べることができる。
何よりも良かったことは、ビールをゴクゴク飲めることだ。
少ーしの水でもむせていたあの頃、もうビールをジョッキでグビグビ飲めるようにはならないんだろうかと、それがすごいショックだった。
でも、今はグビグビいけます。まだジョッキでは飲んでいないけど。
ただ、カラオケは無理だなー。
声がガラガラだし、肺活量がない。
歌っていると途中で息が続かなくなっちゃうんだもの。
残念、私、歌結構得意だったのに。
これも、何年か後には回復するかなー?
回復することを願いましょう。


今の一番の悩みは、髪の毛。
丸坊主のクリクリ頭にしてから約3ヶ月。
今、5㎝位までのびた髪の毛は、伸びた坊主頭って感じ。
トキオの国文君、又は、渡る世間・・・の脚本家、橋田スガ子さん?ってくらいです。
お盆明けから仕事復帰するのですが、できればカツラをかぶりたくない。
でも、このままじゃあちょっとねーーー。




言い忘れましたが、私の脳腫瘍の種類は、「毛様細胞性星細胞腫」というもので、WHO分類では、グレード1で良性扱いとなっているそうです。
そのため、手術で切除した後は特に治療は必要なく、今後再発したり転移したりする可能性は極めて低いそうです。
でも、そうは言われても、若干の心配はあります。
今度9月にMRI検査をしますが、その結果、もしかして何か怖いことを言われたりして・・・・と考えることもたまにあります。
でも、心配すればきりが無いので、あまり気にせず普通に生活して行こうと思っています。


最後に・・・
お嫁に行ったばっかりなのに、お母さんの入院にあわせて帰ってきてくれて、家のことを全部やってくれて、毎日病院へお見舞いに来てくれた、娘。
本当にどうもありがとう。
あなたが毎日ベットの横にいてくれたから、具合の悪い日でも頑張って起き上がって、ご飯も食べようって気持ちになれたんだ。
ほんとうに感謝してます。ありがとう。

家族のみんな、心配と迷惑をかけてごめんね。
おかげで元気になりました。
これからもこのままずっと元気でいたいと思います。
また、宜しくね。



最初、病気になった時、「どうして私が?」「こんなに人がいるのに、この中で何で私なの?」って思ったけど、考えてみれば誰でもそう思うのよね。
誰だって元気だったのに、急に病気になって、不自由になったり後遺症が残ったり、いつまでも具合が悪かったり、長期治療が必要だったりしてるんだもんね。
その中で私は、不幸中の幸い。
手術は大変だったけど、取ってもらえば後はまた元気になれるんだもの。
そう思えば、今回のこの病気も私に与えられた運命で、これからどうなるかも決められているんだから、いらない心配なんかしないで、毎日元気で過ごしましょう!と思っています。


という感じで、最後も超長文になってしまいましたが、以上が私の脳腫瘍闘病記の一部始終です。
長いお付き合いありがとうございました。
次回からは、通常更新です。



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Top▲ by kokemomoj | 2006-08-09 22:40 | 病気のこと
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